父が認知症になってよかったこと
私の父はアルツハイマー型認知症です。
認知症というと、どういうイメージですか?
言ったことをすぐに忘れてしまう
同じ話ばかりする
何もわからなくなってしまう
何もできない
そんなイメージから、認知症になってしまったら
周りが大変!
不幸になる!
そんなふうに思っている方が多いかもしれません。
私も友達に父が認知症だという話をすると、「大変だね」というリアクションが一番初めに返ってきます。
あ~認知症って、そういうイメージなんだな~と思います。
そのイメージはある意味本当で、ある意味ウソだと思います。
第一、認知症になったからといって、すぐに何もわからなくなってしまったり、何もできなくなってしまうというわけではありません。
最初は、言ったことをすぐに忘れてしまったり、頼んでおいたことを忘れられてしまう、というようなことから始まることが多いのではないかと思います。
認知症がどのようなものなのか?わかっていたら、その時期その時期で心構えや対処もしやすいのではないかと思います。
私は理学療法士として、介護老人保健施設で認知症の方々のリハビリをしてきた経験があり、いろいろなタイプの認知症の症状を見てきています。
祖母もアルツハイマー型認知症だったので、家族で介護した経験もあります。
そんな経験もあるからなのか?
父のことも、認知症ね!とそれほどの抵抗感なく受け入れることができました。
祖母の介護をしていた時も感じましたが、今、両親を見守る立場になって、人生無駄なことって何もないな~と思います。
自分が過去体験してきたことが、後々役に立つ!
スポーツリハビリをやりたかった私ですが、いつもお年寄りのリハビリを担当することになってしまい、当時は「なんで~!スポーツリハがやりたい!」と思っていました。
今は、こういうことだったのね!と宇宙の計らいに感謝です。
私の父は、今、アルツハイマー型認知症の中期(中等度レベル)です。
つい数か月前まではもう少し自立できていましたが、ここのところ急激に進行したような気がします。
今までは、毎日実家に通って様子を見てきましたが、母の精神的負担が大きいため、一緒に暮らすことにしました。
認知症にならないでいられるのであれば、その方がいいですが、父が認知症になって一つ良かったと思う点があります。
それは、感情を素直に表すようになったことです。
父は、もともと寡黙で多くを語らず、劣等感が強い人でした。
自由な人で、仕事も一匹狼という感じでした。
それだけに、周りの家族は振り回されることもありました。
あまり話をしない人なので、自分の思っていることも話しません。
口を開くとネガティブなことばかり話していたイメージです。
それも、劣等感の表れだったのだと思います。
頭の中がネガティブなことでいっぱいな人って、認知症になりやすいのではないかと思います。
誕生日などに父に喜んで欲しくて、プレゼントを渡したり、パーティーをしましたが、喜んでくれているのか?分かりませんでした。
一方で、私たち娘に対しては、いつも優しくて、旅行に連れて行ってくれたり、スキーに連れて行ってくれたり、たくさんいい思い出があります。
ふとした時に、父の愛を感じることもたくさんありました。
不器用ではありますが、心の中にはたくさんの愛があふれているんだな~と、微笑ましく思っていました。
そんな父ですが、認知症になってから、素直に感情を表してくれるようになりました。
嬉しい時は、「嬉しいな~」とか「やった~!」と嬉しそうに言ってくれます。
まるで子供に返ったように、屈託のない笑顔を見ていると、私も母も嬉しくなります。
認知症になったことで、抑圧していたものが解放されたのではないかと思います。
父の世代は、男たるもの、家系の大黒柱になって家族を養って、ちょっとやそっとのことで泣き言を言わず働くものだ。と教えられてきた世代だと思います。
裕福で恵まれた家庭であれば、それほどではないかもしれませんが・・・
戦後の貧しさを引きずっていた家庭では、子供の頃から家族を助けるために働き手として、働くことを期待されました。
父も戦時中に10歳で父親を亡くし、母親が女手一つで子供5人を育てました。
苦労も多かったと思います。
心の負担もたくさんあったのではないかと思います。
私が子供の頃の記憶の中での父は、大黒柱として仕事を頑張ってくれました。
父のおかげで、私たちは何不自由なく生活できました。
難しい仕事も、いろいろ考えながら成功させていく父の姿を、誇らしく思ったこともあります。
仕事は合っていたのではないかと思います(母のサポートも大きかったと思いますが)。
でも、ちょっとやそっとのことで泣き言を言わずに頑張らなくてはいけない。
理不尽なことをされても負けずに強くいなくてはならない。というのは、辛かったのだと思います。
誰でもそんな状況では、辛いと思います。
それを辛いよね!理不尽だよね!と、気持ちを分かってくれる人がいれば、辛さも軽くなると思います。
けれども、それは当たり前。という世界では、「弱音を吐くな!」と一喝されてしまいます。
そうなると、昇華しきれない複雑な感情を抱えることになってしまいます。
父の世代は、多かれ少なかれ、みんなそんな感情を抱えているのではないかと思います。
そんな辛さを、認知症になることで解放して、幸せな方向に記憶を書き換えているのではないか?と思います。
記憶をとらえ直して書き換える術を知らなければ、こうやって認知症になって解放するのが手っ取り早いのかもしれません。
最近の父は、辛かった思い出を語るのではなく、「自分はよくやった!」「自分の人生、案外良かった」という話をしてくれます。
う~~~ん。だいぶ違うな(・_・;)
ずいぶん自分に都合よく書き換えられているな(笑)とは思いますが、父が幸せそうなのであれば、それが一番だと思っています。
今、私の希望は、父も母も夫も私も…
家族みんなが幸せであることです。
最期に「幸せな人生だったな」と思えたらいいな!と思います。
人から見える現状がどうであれ、私たちの心の中が幸せな気持ちで満ちていたら、それがベストだと思います。
そんな幸せを感じられる毎日になるために、一緒に暮らすことにしました。
夫は自宅に住むので、夕食だけ私の実家に食べに来てくれることになっています。
どんな毎日になることか?
みんなで楽しんでいきたいと思います(^^♪
今、日本は高齢社会で、認知症の方が増えています。
核家族化している現代では、認知症のお年寄りと接したことがないという方も多いと思います。
そのような場合、両親が認知症になると、ショックが大きかったり、どうしたらいいのかわからなくて困ってしまうのではないかと思います。
認知症は、個性もあるので、人それぞれです。
認知症になった父と私たちの共同創造を、時々、綴っていこうと思います。
すべてに感謝☆
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