辛く苦しい出来事は自分の使命へといざなうためのサイン
更新日:2023年4月15日
最初についた仕事は 理学療法士としての リハビリテーションのお仕事でした。
もともと健康に興味がありました。
そして、 学生時代、スポーツ中に ケガをしたことからリハビリを知り、
専門の学校に通い 理学療法士の国家資格を取りました。
最初に就職したのは 総合病院でした。
リハビリテーションのお仕事は 何から何まで新鮮でした。
早く一人前になりたくて 仕事も学ぶ時間も楽しかったです。
リハビリをしながら 患者様それぞれの人生の話を 聞くのも好きでした。
学んできたリハビリを 実践することで
患者様方が回復されていくのを 目の当たりにして、 やりがいを感じていました。
自分が成長していくのが 感じられて、 イキイキと張り合いのある 毎日を過ごしていました。
そんな中で出会った男性と 結婚の約束もして、 順風満帆でした。
結婚相手は同じ職場だったので、 私は違う病院に移ることになりました。
それが私の苦しみの始まりになるとは 思ってもみませんでした。
仕事に行くのが怖い
移った先の病院で 私はリハビリ科長でした。
その病院はリハビリ科を リニューアルする計画でした。
私は、 以前の病院で学んだことを生かして 通常通りのリハビリ業務をしながら 張り切ってリニューアルに着手しました。
そんなある日、 1人の男性患者さんに呼び止められました。
「マッサージしてくれよ」
その病院には、もともと マッサージが得意なスタッフがいたため、
「私は専門ではないので、 専門の方にお願いしましょうか?」と 返事をしました。
それが、運の尽きでした。
その患者様にいきなりキレられ 「断りやがったな」 と言われました。
その患者様はいわゆるチンピラでした。
それからは、 私は執拗に見張られるようになりました。
朝出勤すると
その患者様が病院玄関にいて、
見つかるとしばらく絡まれすごまれて、 私は冷や汗をかき 足がすくむ思いをしていました。
出勤する職員たちが 気の毒そうな目で私を見ながら 通り過ぎていきました。
その後は、リハビリ室で 会うことになります。
私には、 自分の担当する患者様が いらっしゃるので なるべく意識を自分の患者様に 向けようとしていましたが・・・
いつも気が気ではありませんでした。
時々、絡まれている私を 助けてくれるスタッフもいました。
とてもありがたかったです。
でも、そのスタッフには
「あの人は何をするか わからない人だから。
何度も傷害事件を起こしているんだよ。
だから、悪いけど 自分はもしケンカを売られたら 助けられないから。
自分には家族もいるし、 家族に何かあったら大変だから。」
そう言われたのです。
あの患者様はそんな人なのか!と 私はますます怖くなってしまいました。
リハビリ室で騒ぎを 起こされることもありました。
私は、直属の上司である 事務長や院長に相談してみました。
すると、事務長には 「何かあったらすぐに呼んでね」と 言われて、ホッとしました。
けれども、 実際に騒ぎがあった時に コールをしても、 いつもすぐには来て くれませんでした。
お忙しいことも あったのだと思いますが、
騒ぎがおさまった頃に 事務長ではなく、 事務課長が「どうしたの?」 とやってきました。
さらに他の職員から 事務長が私の事を 厄介者扱いしているという うわさを聞き、
私は誰を信じたらいいのか 分からなくなってきました。
考えられるあらゆる手段を 試してみました。
けれども、 効果はありませんでした。
家族や婚約者にも 相談してみましたが、
深入りすることで家族や婚約者に 何かあったら・・・
それこそ、 後悔してしまう!
そう思い、 自分がそこまで苦しんでいることは 言えませんでした。
自分のことは自分で守るしかない!
そう思い、 気の休まる時がなくなりました。
仕事を辞める
次第に私は、 その恐怖を一人で抱えているのが 苦しくなり 精神的に辛くなっていきました。
新しい職場で慣れないうえに、 恐怖でリハビリの仕事も 気が気ではなく集中できない日々。
プライベートでは、 結婚式と新しい生活のための 準備を進める日々。
嬉しいはずなのに すべてが落ち着かなくて 自分を見失っているような 感覚でした。
いつしか心も体も バランスが崩れていきました。
仕事上ではリハビリの事よりも、 どうやってあの患者さんから逃れるか! ということを考えているように なっていきました。
それに気づくと、 私は何のために リハビリの仕事をしているのだろう?
そもそも、 こんな怖い思いをしながら 働く必要があるのだろうか?と 思うようになりました。
でも、私はリハビリ科長です。
きちんと職務を果たさなければ!
いい加減な人と思われたくない!
そもそも、 理学療法士のお仕事は 好きなのだから! とも思いました。
両方の思いの間で 毎日揺れていました。
けれども、ついに 恐怖に耐えられなくなり、 結婚を機に退職することにしました。
その職場を辞めて、 その患者様に会わなければ、 私はもう大丈夫! そう思っていました。
ところが、 そうではありませんでした。
辞めて自由になったはずなのに、 いつも見張られているような気がして・・・
家のチャイムが鳴ると ドキリとしてしまいます。
漠然とした恐怖がいつもあり 人が来ても 居留守を使うようになりました。
電車に乗っても、 その職場のあった駅に 近くなってくると 息苦しくなってしまい、
ひどい時は、 意識がなくなって 倒れてしまうようになりました。
私が辞めてすぐに、 勤めていた病院の 事務長と院長が変わりました。
新しい院長は、私の件を聞き、 わたしを呼び戻そうと、 看護長などの各部署のトップを 集めて宴会を開いてくださいました。
私はとても嬉しくて 恐怖の日々が報われたような ありがたい気持ちになりました。
できれば戻りたい!と思いました。
けれども、もう、 その駅に降り立つことさえ 恐くてできませんでした。
泣く泣く、ありがたいお話を お断りしました。
あの患者様とのことはこれで終わり!
私の怖かった思いもこれで終わり!
自分の中でケリをつけようと思いました。
なんと言っても、新婚です。
暖かく幸せな家庭を築いていこう。
そして、天職だと思い始めていた 理学療法士のお仕事を再開させよう。
そう思いました。
心療内科に通う
新しい生活を始めて心機一転! 新たに他の病院に就職しました。
理学療法士としての仕事や 患者様方とのリハビリの時間は 楽しいですし、
いろいろなテクニックを習得しようと 学ぶのも楽しい時間でした。
一緒にリハビリ技術の学びを 深めようとする先輩や後輩もできました。
けれども、一度崩れてしまった 心身のバランスはすぐには 戻ってくれませんでした。
どんなに体調管理に 気をつけていても いきなりの体調不良に襲われました。
それも頻繁に。
私にはコントロール不能。
私は、急に体調不良になってしまう 自分を責めるようになっていきました。
どうしてみんなと同じように 働けないんだろう?
どこが悪いの? と聞かれても、 明確には答えられませんでした。
不安を感じると お腹が痛い・・・ 気持ち悪い・・・ 頭が痛い・・・などと感じ 意識が遠のいてしまうのです。
取り立てて病気とも 思えないような サボるための口実のような理由でした。
それでも、何度か出先で 意識消失を繰り返していると
意識がなくなって倒れてしまう ことが怖くなり、 調子が悪いと休むようになりました。
病院に勤めていたので 診察も受けましたが、 特に病気は見つかりませんでした。
私は、 自分の心が弱いのではないか? と思いました。
心の弱い自分を責め続けました。
そんな苦しんでいる私を見て 同僚が心療内科をおススメしてくれました。
同僚も苦しんでいる時に その心療内科にお世話になり ラクになったのだそうです。
早速、心療内科に行って 診察を受けました。
お医者さまには、 恐い思いをしていたお話は できませんでした。
自分の症状だけをお話しました。
診断名は 「自律神経失調症」
投薬治療とカウンセリングを 受けることになりました。
カウンセリングでは、 少しだけ恐怖体験を 話すことができました。
思い出すだけでも 身体がガクガク震えてきて 意識がなくなりそうになるので、 全部は話すことができませんでした。
自分を保っていられる範囲の事だけ 話すことができました。
それでも話すことで 少しだけラクになりました。
約5年間、 一人で抱えてきたけれど、 もう一人で抱えなくても いいのかもしれない? と思いました。
一人で抱えていた時は、 抱えていた恐怖を 見ないようにしてきました。
けれども、 カウンセリングでは その恐怖について 思い出すことをしました。
自分を保っていられる範囲の 恐怖体験のことを話していると、
私の心の奥の方で 見ないようにしてきた たくさんの感情が うごめいているのが感じられて 恐くなりました。
心療内科に通うことで、 心の奥に閉じ込めて 見ないようにしてきた感情が あることに 気づくことができました。
その閉じ込めておいた たくさんの感情と向き合わないと 本当に変わることは できないのかもしれない・・・
そう感じました。
もしかしたら、 ものすごく気の遠くなるような 時間がかかることなのかもしれない。
でも、もうこのまま この辛い思いを抱えていくのは嫌だ! 何とかしたい!
自分を癒していこう!と 決めました。
自分の感情を癒す
そうは言っても、 どうやったら自分を癒せるのか? 全く見当がつきませんでした。
そんな時、 職場の同僚のご縁で アロマセラピーと フラワーアレンジメントを 習えることになりました。
その後、 リフレクソロジーにも出会いました。
心から変わろうと決めると それに必要な出会いが 訪れるのだな~と思いました。
私は植物が好きですし、 香りも好きなので、 習う時間は 癒しの時間でした。
アロマセラピーと リフレクソロジーは、 心と体のつながりを 感じる時間でした。
自分の好きなことをしていると 心がほんわりと緩んで 安心している感覚と 心も体も 喜んでいるのが分かりました。
そんな感覚が癒しの感覚なのかな? と思いました。
それでも、 見ないようにしてきた感情の塊は 相変わらずそこにある・・・ と感じていました。
スピリチュアとの出会い
そんな時、 不思議な出会いがありました。
友達との待ち合わせに 早く来すぎてしまった私は 一人でお茶をしていました。
カウンター席に一人で座って お茶を飲んでいると、 隣に座ったおばあさんに 話しかけられました。
「あなた、これをするといいんじゃない?」
そう言って、差し出された 紙を見ると、 「オーラリーディング」 の文字。
さっと目を通させていただいた中には、 自分のエネルギーを きれいにすることで自分を癒す。 というようなことが書かれていました。
その延長線上で オーラリーディングが学べるスクール のお知らせチラシのようでした。
私はタイムリーな気がして とても興味が湧きました。
その上、その時図書館で 借りて読んでいた本を書いた人が そのスクールの先生でした!
なんというシンクロニシティ。
私は運命を感じました。
そのスクールの 体験セッションに申し込み 受けに行ってみました。
そして、 そのスクールに通うことに決めました。
そのスクールでは、 ・瞑想のやり方 ・オーラやチャクラなどの エネルギーシステムについて ・エネルギーのお掃除のやり方 ・ヒーリングのやり方 ・透視のやり方 ・ハイヤーセルフとのつながり方 ・スピリチュアルな在り方 などを1年余りをかけて教わりました。
私の魂は、 待ってました!とばかりに 教えられた内容を ぐんぐん吸収していきました。
毎日が教わったことの実践でした。
自分の見ないようにしてきた 辛く苦しい感情に向き合うので 辛く苦しいのですが、
本当に求めていたものと出会えた 喜びを感じていました。
そして、 確実に変化していけることを 実感しました。
ある時、 自分の苦しい感情のエネルギーを 浄化していると、 過去生が見えてきました。
それは、 あの怖かった患者様との 過去生でした。
私は囚人として牢に捉えられていて、 あの患者様は看守でした。
それを見て、 今生の構図と全く同じだ! と思いました。
だから、 あんなに私を執拗に 監視していたのか!
これは理屈ではなく、 過去生からの記憶(カルマ)で 起こった出来事だったのだ!と 腑に落ちました。
過去生よりも今生は 関係性がずっと マシになっている(笑)
カルマの法則を知っている今、 あの患者様に対する思いも、 自分が味わってきた思いも、 すべてを手放そう!
そう思い、 感謝の思いと共に エネルギーのお掃除をしていきました。
自分のエネルギーと向き合い 知ることは、 自分を発見することにつながりました。
それは、 私にとって喜びであり、 魂が生き返っていくように感じました。
もともとは、 天職と思っていた 理学療法士のお仕事を 本当に楽しんでできるようになりたい。
そう思って、 自分の感情・エネルギーと 向き合うことを始めましたが、
それも違う! と感じるようになりました。
いいお仕事だと思うけど、 好きなお仕事だし 天職と思いたかったけど、
こんなにやっていて苦しいなんて、 やっぱり違うよね。
と思いました。
私は、 スピリチュアルスクール 卒業と同時に
すっぱりと 理学療法士のお仕事を 辞めることにしました。
理学療法士のお仕事を 辞めてしばらくは、 こんな楽をしていていいのだろうか? と落ち着きませんでした。
今まで、 私=理学療法士でした。
私のほとんどが欠けてなくなった ような気分でした。
寂しいような 私が私でなくなったような・・・ それでいてホッとしてもいる 複雑な気分。
でも、何もなくなった私。
そんな私が最高にいいよね~と 思えたら、 最強なのではないか?と思いました。
私はそれを目指そう!と思いました。
スピリチュアルセッションがお仕事になる?
3カ月ほどたったある日、 お友達とランチすることになりました。
そのお友達とは、いつも 楽しい話で盛り上がり 励まし合える仲間でした。
けれどもその日は、珍しく 友達は悩み事を話し始めました。
それを聞きながら、私には それがどうして起こっているのか? どうしたらいいのか? 見え、分かってしまいました。
友達の状況を確認しながら、 分かったことを伝えました。
友達は興奮気味に 「そうそう!その通りだよ! なんでわかったの?」と 不思議そうでした。
私は、エネルギーを学ぶスクールに 通っていたことをお話しました。
その日にお話したことが腑に落ち、 効果も感じられたようで、 友達は、事あるごとに 相談してくれるようになりました。
とても根深いことが原因だったので 解決には時間がかかりました。
最初は、ランチをおごっていただき セッションしていました。
そのうちに、 ランチをおごるだけでは 申し訳ないからと お金をいただくようになりました。
そして、そのお友達から 紹介された方がセッションを 受けてくださるようになりました。
時間はかかりましたが、 口コミでセッションを受けて くださる方が 広がっていきました。
今では、 このお仕事こそ私の使命 だと思っています。
今思うこと
私の体験もそうですし、 たくさんの方の スピリチュアルセッションを 通して気づいたことがあります。
それは、
一見、 不運なことや辛いことであっても、 その奥には人生に対する メッセージや 人生を豊かにするための 鍵が隠されている。
ということです。
人生を豊かにするための鍵とは、 ・新たな自分の能力の発見 ・本当に好きなことに気づくこと ・自分の心地良いことに気づくこと ・自分にふさわしい素敵な 人・物・仕事などとの出会い ・生まれてきた使命や目的に気づくこと などです。
それを生かせるようになると、 人生は楽園へと変わっていきます。
私は紆余曲折しながら 長い時間をかけて 自分の楽園へとたどり着きました。
もし、最初から スピリチュアルな手法や ハイヤーセルフとつながることを 知っていたら…
正直、 こんなに長い時間 かからなかったと思います。
今、辛く苦しい状態に あったとしても そこから抜け出ることは できると思います。
その奥にある 人生を豊かにしていくための鍵を 見つけて
それぞれの楽園を探していく お手伝いができたら 嬉しく思います。
この地上は本当に楽園ですから!
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