言わなければよかった?と後悔する気持ちを整理する方法
更新日:2023年4月6日
「鏡の法則」をもとに自分の発言にはどこまで責任を持てばいいのか?考える
「言わなければよかったかな?」
言った後で
イヤな感じを与えちゃったかな?
相手がイヤな気持ちになったのではないかな?
言っちゃって悪かったかな?
イヤなヤツだって思われたかな?
私…どう思われたかな?
そんなふうに後悔したこと、誰にでもあるのではないでしょうか?
自己嫌悪に陥り、自分を責めてしまったり、グルグルと同じ場面が頭を巡って、苦しくなりますよね。
今回は、そんなときにどのように考えたらいいのか?について、Cさんのご相談をもとにお話ししていきたいと思います。
Cさん(50代 女性 神奈川県在住)のご相談です。
私は日頃、『こうしてくれたらいいのにな!』とか『普通、こうするでしょ!』と思っても、人には言わないタイプです。 言わなければ、波風立たないし…
でも、先日、職場で。 先輩と同僚が来期のことについて話し合っていました。 もう周りのシチュエーションは変わって、その話をしているのは場違いの状況になっているのに、先輩と同僚は気づかないのか?そのまま話していました。 さすがに、少し迷惑な状況になり、私も周りもイラっとし始めました。
そこで私は、「ここは私たちだけで大丈夫なので、話がまだ続くようでしたら、別のところで話してきていいですよ」と話しかけました。 すると、先輩と同僚は、「もう話は終わっているから…」と話をやめてその場を去りました。
そのまま話し続けられていたら、周りにとっては迷惑ですし、それがいいことだとは思わないので、言ったことは正当なことだったと思います。
でも、言ったは言ったで、
イヤな感じを与えちゃったかな?
相手がイヤな気持ちになったのではないかな?
言っちゃって悪かったかな?
イヤなヤツだって思われたかな?
私…どう思われたかな?
そんなことが気になってしまって、言うのを我慢した方が良かったのかな?と思ってしまいました。
それからは、後悔する気持ちと、言ってよかったのだ!という気持ちが、交互に出てきて…葛藤しています。 そういう時はどうしたらいいのでしょうか?
人間関係を考えるときに、大切になる視点があります。
その視点を踏まえて話を進めていきたいと思います。
よりよい人間関係を築いていくために大切な3つの視点
よりよい人間関係を築いていくためには、3つの視点が大切です。 1つ目は、自分の視点。
2つ目は、相手の視点。
3つ目は、第三者の視点。
何か問題が起こったとき、人は感情的になる傾向があります。
感情的になってしまうと、どうしても自分だけの視点にはまってしまいます。
自分だけの視点にはまってしまうと、客観的に物事を見ることができません。
物事を解決する近道は、物事を客観的に見ることです。
相手の視点と第三者の視点は、物事を客観的に見ることを助けてくれる視点です。
感情的になっているな…と思ったときほど、この3つの視点を大切にしてみてください。
この3つの視点を意識できた途端に、客観的に物事を見ることができますし、感情的にならずにいられると思います。
それでも、ネガティブな感情がグルグルと頭や心の中を支配してしまい、客観的に物事を見ることができないようでしたら、こちらの感情を手放す方法を試してみてください。
こちらの記事も参考になると思います。
この3つの視点から、Cさんのご相談を振り返ってみてください。
それぞれの視点で、どんなことを思いますか?どんなことを考えますか?
自分の発言にはどこまで責任を持てばいいのか?
Cさんのご相談内容は、「自分の発言にはどこまで責任を持てばいいのか?」という疑問とも受け取れるのではないかと思います。
どこまで自分の責任だととらえたらいいのかわからないので、自分の言ったことに対して、
イヤな感じを与えちゃったかな?
相手がイヤな気持ちになったのではないかな?
言っちゃって悪かったかな?
イヤなヤツだって思われたかな?
私…どう思われたかな?
と思ってしまう。
自分が責任を持つ範囲と、相手の範疇とがごちゃごちゃになって、どこまで気にしたらいいのか?わからなくなってしまっている状態だと思います。
だから、相手のことが気になってしまったり、自分がどう思われたのか?気になってしまうのではないかと思います。
相手のことを思いやることができる、優しい人。なのだと思います。
けれども、それで自分が苦しくなってしまうのであれば、本末転倒ですよね。
相手にも自分にも優しくできた方が生きやすくなります。
宇宙の法則から考えると、自分が責任を持てばいいのは、「自分が発言するところまで」です。
それはなぜなのか?お話していきます。
宇宙の法則『鏡の法則』が作動している
自分が発言するとき、相手がその発言を聞いて何かを思うとき、その相手を見て自分が何かを思うとき。
すべて、『鏡の法則』が働いています。
私たちは心の中の「思いこみの鏡」に映ったことを見て、何かを思ったり、判断しているのです。
その人があなたをどう見ているかは、その人でなければわからないことです。 じつは、あなたが気にしているのは、「人の目」ではありません。 「あの人は私をこう見ているはずだ」と感じるのは、自分の思い込みです。 「あの人は私のことをダメだと思っている」と思うのは、自分で自分をダメだと否定しているからです。 自分をダメ人間だと思っている自分がいるから、他人にも同じように思われる気がしているだけです。 「ザ・メタ・シークレット 実践編」 メル・ギル著 2015年 より
自分が相手に何かを言ったとき。
相手がどう思ったのか?は、本当は本人に聞いてみなければわかりません。
Cさんの場合、相手が周りに迷惑をかけている状況になったので、それに気づいてほしくて「ここは私たちだけで大丈夫なので、話がまだ続くようでしたら、別のところで話してきていいですよ」と話しかけました。
先輩と同僚にとってみたら、場違いになっているのに気づかずに話していたことを注意されて気づき、「あ!ヤバイ!」と思ったかもしれません。
気づかずに話してた!まずかったな…という顔をしたかもしれません。
そのとき、Cさんの中に、人に注意したら
波風を立ててしまう。
相手にイヤな感じを与えてしまう。
イヤな人と思われてしまう。
そんな「思いこみの鏡」があると、どんなに配慮した言い方をしたとしても、
イヤな感じを与えちゃったかな?
相手がイヤな気持ちになったのではないかな?
言っちゃって悪かったかな?
イヤなヤツだって思われたかな?
私…どう思われたかな?
と思ってしまうのです。
今回は特に、イラっとして言ったので、余計に気になってしまったのだと思います。
イラっとしても感情を出してはいけない
いつも平静な気持ちでいないといけない
そんな「思いこみの鏡」もあるかもしれません。
どちらも、自分の中にある「思いこみ」が鏡に映し出されて反応するということが起こっています。
そして結果として、後悔してしまったということです。
相手がどのように受け取るか?は相手次第
同じように、先輩と同僚の内側にどんな「思いこみの鏡」があるかで、注意されて思うことは変わってきます。
「注意される」ということをどのようにとらえているのか?が心の鏡に映し出されて反応するのです。
自分では気づかなかったことを教えてもらえてありがたい
人に注意されるのは、自分を否定されたということだ
注意されるなんて!迷惑をかけてしまって申し訳ない
注意されるなんて、自分はなんてダメな人なんだ
注意されたら、それを直せばいいだけ!
ちょっとあげてみただけでも、いろいろなとらえ方があります。
やり取りをしているときの表情だけでは、相手が何を思い、何を考えているのか?わからないものです。
相手に聞いてみないと、本当はどう思ったのか?はわからないのです。
ですから、相手がこう受け取ったに違いない…と思ってしまうのは、自分が勝手に思いこんでいるだけということになります。
相手がどのように受け取り、どのように反応するか?は、相手次第です。
そこは、こちらでコントロールできるものではありませんし、介入できるところでもありません。
だとしたら、自分が責任を持てるところは、「自分が発言するところまで」だと思いませんか?
自分が発言したことを、どのように受け取り、どのようにとらえて、どう思うのか?は相手に委ねられます。
それは、相手の責任になるということだと思います。
自分が問題発言をしてしまった!と思うのでしたら、それは自分の責任であり、自分の問題になると思います。
けれども、相手が言われたことに対して、「イヤな感じ。傷ついた。否定された。」と受け取ったとしても、言った側が、傷つけるつもりもなく、否定するつもりもないとしたら、それは相手の受け取り方の責任であり、相手の問題である可能性が高いのではないかと思います。
今回の例でいうと、人に注意されるということを、
人に注意されるのは、自分を否定されたということだ
注意されるなんて!迷惑をかけてしまって申し訳ない
注意されるなんて、自分はなんてダメな人なんだ
というふうにとらえている場合は、「イヤな感じ。傷ついた。否定された。」と受け取りやすくなります。
自分では気づかなかったことを教えてもらえてありがたい
注意されたら、それを直せばいいだけ!
というふうにとらえている場合は、「ありがとう」と思うかもしれませんし、とくに心が動かされることではないと思います。
ここで一つ、私の体験談をお話したいと思います。
私の友達で、とても色白できれいなお肌の女性がいました。
私はその友達に、「肌が色白できれいでうらやましいな~。色白は七難隠すって言うよね。いいね!」と言いました。
すると、その友達は、「私、色白は七難隠すっていう言葉、嫌いなんだ!」と言いました。
私は「なんで?」と聞いてみました。
その答えは、「七つも難がありますよ!って言われている気分になるんだよね。それを色の白さでごまかせているって言われているみたいで、すごく嫌だ」とのことでした。
お~~~!そういうとらえ方もあるのか!と私は思いました。
昔から言われてきた、色白さんへの最上級のほめ言葉だと思っていましたが…
そんな言葉でさえ、とらえ方によって、こんなにも変わるのだと思い知りました。
その言葉を彼女に言う人たちは、みんな彼女の色白をほめたくて言っているのだと思います。
受け取る側のとらえ方は、こちらでコントロールも介入もできません。
まさにこれは、言う側の問題ではなく、受け取る側のとらえ方の問題ということになると思います。
自分が発言するところまでを責任もって、心地よいコミュニケーションができるように意識すれば、それでいいのだと思います。
どうしても相手の気持ちが気になってしまう。
相手の気持ちを知りたい!と思うのであれば、『鏡の法則』上、直接聞いてみるのが一番だと思います。
相手の気持ちを勝手に推測して悩むのは、エネルギーの無駄使いになってしまうと思います。
相手のとらえ方を受けてどうするか?は自分次第
Cさんの場合、Cさんがやんわりと注意したことによって、先輩と同僚は、「もう話は終わっているから…」と話をやめてその場を去りました。
その状況を受けて、自分の中で「思いこみの鏡」が作動します。
「思いこみの鏡」は、過去の蓄積でできています。
そして、無意識に働くものなので、コントロールできるものではありません。
その「思いこみの鏡」が自分にとって心地良い鏡であれば、心地良くいられます。
けれども、それがネガティブな鏡であった場合、苦しくなったり、自分を責めてしまったり、後悔してしまったりします。
そんなネガティブな「思いこみの鏡」がもう嫌だ!と思ったとき。
その鏡をに映った「思いこみ」を手放すことによって、「思いこみの鏡」をつくり変えていくことができます。
Cさんの「思いこみの鏡」に映ったものは、
人に注意したら、波風を立ててしまう。
人に注意したら、相手にイヤな感じを与えてしまう。
人に注意したら、イヤな人と思われてしまう。
という思いこみでした。
その思いこみをもとに、
イヤな感じを与えちゃったかな?
相手がイヤな気持ちになったのではないかな?
言っちゃって悪かったかな?
イヤなヤツだって思われたかな?
私…どう思われたかな?
という気持ちがわいてきます。
そして、後悔してしまいました。
その思いこみを手放すことによって「思いこみの鏡」を作り変えていくことができるのです。
「思いこみの鏡」を作り変える方法については、こちらの記事に詳しく書いています。 ⇒思い込みを手放して嫌な気持ちになるパターンを変える方法
気づいて、変えたい!と思った瞬間から、変わることができます。
「思いこみの鏡」を自分が心地よくいられる、素敵な鏡に作り変えていってください。
自然にポジティブなとらえ方をしている自分に変わっていくことができます。
頭と心を整理していくと生まれる選択肢
3つの視点で、客観的に問題を見ること。
自分の責任の範囲と相手の責任の範囲を理解した上で、問題を見ること。
この2つができると、選択肢が生まれてくると思います。
客観的に見て「自分が悪かったな」と思う場合
自分の言い方が自分の視点になっていて、相手のことを考えていなかった。
感情的になってしまい、言いすぎてしまった。
自分と相手の問題だったのに、第三者である周りに迷惑をかけてしまった。
など。
やっぱり、自分が悪かったな~と思った場合、2つの選択肢が生まれます。
①謝る ②謝らない
人それぞれケリのつけ方は違うと思いますし、謝りやすいケース・謝りにくいケースとあると思うので、どちらを選んでもいいと思います。
自分の心がすっきりとして軽くなる方を選ぶといいと思います。
どちらを選んだとしても、次のことはした方がいいと思います。
それは、具体的にどうすればよかったか?もう一度、そのときのことを思い出しながら考えてみることです。
思い出したことを紙に書きながら進めると、頭も心も整理しやすくなります。
私は、気軽に書き出せるように、裏紙や余ってしまったノートなど、捨ててもいい紙に書き出しています。
そして、大事な部分だけ保存するノートに書いて、あとは「頭と心を整理させてくれてありがとう」と言いながら破いて捨てています。
書くことは、
⓵出来事の経緯
・どんなことが起こったのか?
・どんなふうに思ったのか?
・どんなことを考えたのか?
・どんな行動をしたのか?
ますは、自分の視点で書いてみてください。
⓶相手の視点から見たらどうか?
その出来事を、どんなふうに思い、どんなふうに考えたから、そういう行動になったのか?
相手の視点で書いてみてください。
⓷第三者の視点で見たらどうか?
周りの人たちから見たらどう思ったか?書いてみてください。
⓸高い視点で見たらどうか?
自分も相手も、その出来事全体を、高いところから見通している視点になってみてください。
その視点は、すべてを解決できる視点です。
そして、どうしたらよかったか?書いてみてください。
具体的にどうすればよかったか?
どんなふうに考えたらお互いのためになったか
どんなふうに言えばお互いにとってよかったか
どんなふうに行動したらお互いにとってよかったか
イメージができましたか?
イメージができれば、OKです!
次にこのようなことが起こったときには、イメージした自分で解決できるのではないかと思います。
客観的に見て「やっぱり言ってよかった」と思う場合
Cさんのように、自分が相手の気持ちを勝手に憶測して決めつけていただけの場合は、このように思うことが多いのではないかと思います。
憶測による取り越し苦労だった場合、それに気がついただけで、気持ちが晴れるかもしれません。
どんなに気をつけていたとしても、傷つけるつもりはないのに、相手を傷つけてしまうことはあります。
自分の発言に責任を持ち、相手を傷つけるつもりがなく、悪気があって言ったのではないのに、相手が傷ついてしまったとしたら…
それは悲しいことではありますが、自分の問題ととらえる必要はないのだと思います。
そう考えるのは冷たいことだと思う必要もありません。
なぜなら、自分の問題ととらえてしまうと、自分の心も相手によって振り回されることになってしまうからです。
それは、相手の「ネガティブな思いこみ」によって起きている可能性が高いのです。
相手の「ネガティブな思いこみ」は相手の心の中の問題であって、それに気づき、その思いこみを癒せるのは、その人自身しかいません。
発言した側にできることは、
そんな相手に可能であれば寄り添い見守ること
「相手のネガティブな思いこみが癒されますように」と祈ること
なのではないかと思います。
まとめ 素敵な「思いこみの鏡」を育てよう!
「言わなければよかったかな?」と後悔しているときに、どのように考えたらいいのか?お話してきました。
人は、自分の内側にある「思いこみの鏡」をもとに、いろいろなことを思い、考え、判断し、行動しています。
その「思いこみの鏡」が反応しあって、コミュニケーションが生まれ、人間関係が生まれ、いろいろなものが創造されていきます。
素敵な「思いこみの鏡」を持っていたら、きっと素敵なモノが生み出されていくことでしょう。
ネガティブな「思いこみの鏡」を持っていたら、生み出されるものもネガティブなモノになります。
けれども、変えたい!と思えば、自分の「思いこみの鏡」は変えていくことができるのです。
責任をもって育てていくのは、自分の「思いこみの鏡」です。
人の「思いこみの鏡」は、その人のものであり、その人にしか変えることはできません。
そこまで責任をもつことも、介入することもできないのです。
私たちは、喜びや楽しさ、幸せを体験するためにこの地球に生まれてきているのだと思います。
自分が最高!と思える「思いこみの鏡」に育てて、自分にとって最高の共鳴を起こして、素敵なモノを生み出していきたいですね(*^-^*)
あなたの「思いこみの鏡」が素敵な鏡に育ちますように☆
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